暗唱とは何か

 前回、「身に付けさせたい古典の力」と題して、アンケートを採りました。アンケートの時期が夏休み明け前後ということもあり、いただいたご意見は多くはありませんでした。

身に付けさせたい力:古典に親しみや関心を見出す力。読み取ろう、理解しようとする力。実践内容:便覧や映像資料を用いて、作品の背景や文化に触れさせる(結婚、垣間見、一夫多妻制などを紹介すると興味を引けるような実感があります)。古典は一音一音音読すると何となく意味がわかると、本で読んだことがあるので、正確に読めるように教員やCDの音源と一緒に音読したり、一文ずつリピートしたり、席の隣同士で読み方が合っているか確認しながら丸読みをしたりしています。また、内容と本文が一致するように、本文と現代語訳を一文ずつ交互に読ませています。

その前に、ご免なさい、方向性の1つ目、小学生との繋がりを意識して、例えば、義務教育の内につけさせたい力、という意識が、必要ですよね!すると、音読暗唱などは、小学校学級によってやったりやらなかったりがあります。私は、中学校でまず、親しませるために。続く音読をまず重要視して、楽しく暗唱(編集註:入力が途切れているかもしれません)

漢文に触れることを通じて、漢字という複雑な形をもつ文字に慣れ親しみ、漢字に対する抵抗感をなくすようにしている。また、漢文は、漢文調の表現が、現代の論文や実用文を読んだり書いたりする際に用いられる文体であるので、漢文の書き下し文を通じて、漢文調の表現形式をなんなく読み取り、書くことができる力を身に付けさせるようにしている。 和文調の小説の文体の読み書きは、一般に行われており、大衆小説というジャンルがあるほど、すでに身に付いていると思われる。そこに、漢文調の表現力と読解力を身に付ける意義があると考える。

 いただいたご意見はそれぞれなるほどと思わせるものですが、問題は、なぜ意見が少なかったのだろうということです。アンケートの時期が夏休み明け前後だったことによる忙しさや、こういったアンケート形式の面倒さによる影響はあるでしょうが、この際それは考えないこととすると、「身に付けさせたい古典の力」という題が、回答しにくいものだったからではないか、と考えることにします。

 なぜ、「身に付けさせたい古典の力」が回答しにくいか。それはズバリ、「全教員が納得する最適解が存在しないから」、ではないでしょうか。もちろん先生方それぞれでお考えになっていることはあると思います。しかしこのような回答形式で、自分の意見がHP上で公開されることが分かっているところへ、一個人の意見かもしれないと慎重になる気持ちはとても分かります。つまり、誰もが自信をもって、古典で身に付けさせたい力、および実践はこれだ!とは言いにくい状況があるのではないでしょうか。

 都中国の古典再定義プロジェクトでは、このあたりを再定義し、古典を学ぶ意義を胸を張って宣言することを目指しています。アンケート結果を分析して、やはりここをなんとかしないと前には進みにくいということを再確認しました。

 さて、その問題はさておき、アンケート回答の中にもあった「暗唱」について考えてみたいと思います。

「現行学習指導要領解説」には「暗唱」が4箇所に記されています。

小学校における読み聞かせや音読、暗唱などによる伝統的な言語文化に関する学習を踏まえ、古典や漢文を音読し、古典の世界に親しむことを示している。(「第1学年の内容(3)我が国の言語文化に関する事項ア音読に必要な文語のきまりや訓読の仕方を知り、古文や漢文を音読し、古典特有のリズムを通して、古典の世界に親しむこと。」の解説として。)

なお、現代語訳や語注などを手掛かりに作品を読む際には、小学校から取り組んでいる音読や暗唱などを効果的に取り入れることも考えられる。(「第2学年の内容(3)我が国の言語文化に関する事項イ現代語訳や語注などを手掛かりに作品を読むことを通して、古典に表れたものの見方や考え方を知ること。」の解説として。)

これで2箇所。残りはどこかというと、小学校段階「第3学年及び第4学年2内容(3)我が国の言語文化に関する次の事項を身に付けることができるよう指導する。ア易しい文語調の短歌や俳句を音読したり暗唱したりするなどして、言葉の響きやリズムに親しむこと。」の部分が、表と付録で2箇所に記されています。

 何ということでしょう。「暗唱をしなければならない根拠」はどこにもないわけです。(ややこしい表現ですね。否定が3つも続いています。暗唱を必須の教育活動とする根拠はない、という感じでしょうか。)整理をすると、4箇所のうち2箇所は小学校の記述ですからこれらは除きます。中学校段階の暗唱とは、次の2つのことです。

「古典や漢文を音読し、古典の世界に親しむ」ことを目的とするときに踏まえておくべき既習事項

「現代語訳や語注などを手掛かりに作品を読む際」の取り入れることも考えられる既習事項

 以前は、古典と言えば暗唱が1つの軸になっているような授業もよく観ましたが、少なくとも暗唱は目的ではなく、手段の1つであると、定義づけられそうです。

 暗唱が手段だとしたら、評価はどうするか、という疑問も湧きます。古典そのものは、基本的に丸ごと「知識・技能」の「我が国の言語文化に関する事項」に入っています。仮に暗唱を手段として教育活動に取り入れた場合、暗唱ができたかできないかで「知識・技能」の評価には入れられないと考えることが妥当です。ゴールはあくまで「古典や漢文を音読し、古典の世界に親しむこと」「現代語訳や語注などを手掛かりに作品を読む」ことですから、そのために手段として用いた暗唱は、同列に考えるべきではないからです。時間内に新宿までたどり着けること、というゴールが設定されていたら、時間内にたどり着けたかどうかを評価すべきであって、うまく自転車に乗れたとか、公共交通機関の使い方が上手だった、とかは同列の評価軸に入らないということです。

 では、どこに入るのか。みなさん朗報です。都中国夏季研修会の時に宿題として出された「主体的に学習に取り組む態度」の評価はどうするか、という問いに(部分的ではありますが)答えられそうです。

 「主体的に学習に取り組む態度」は、「知識・技能」の修得や「思考・判断・表現」力等を身に付けるために、どのように学ぼうとしているかという意欲的な側面を評価することになっています。

 たとえば、「なめらかに音読できるようになろう」という課題を設定したときに、もし暗唱ができていれば、それは当然課題はクリアしているし、そのための意欲的な学習調整力・粘り強さも見て取れます。意欲が成果と連動していますので、どちらも高い評価にすることができます。暗唱だけを態度に入れてしまうと、ちぐはぐになることもありますが、これならペーパー以外でも「古典の世界に親しむ」という生徒の資質・能力を評価できることになります。

今回の成果

●暗唱は手段。評価は「主体的に学習に取り組む態度」で、目標とする「知識・技能」のゴールと連動

 次回は、古典の授業の組み立て方について考えてみることにします。お題は、「古典の授業をどのように進めているか」。たくさんの回答をお待ちしています。回答は、下のアドレスか、QRコードよりお願いいたします。

https://forms.gle/Xd8ZgTmjTHmTpBrf9

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